人が、日々を書き記す。
そのおこないに、本来特別さはない。ないはずである。
しかし、ある10代の少女が残した一冊の「日記」は、後にあらゆる言語へと翻訳され、数十年を経た未来(さき)でなお、世界中の人々に読まれ続けている。
その事実、その異質さを、私達は今一度深く考えなくてはならない。
取り巻く時代が、彼女の日記を“歴史の遺物”に変えたのだ。
2025年、春。
合唱曲『Annelies』と出逢った。
“Anneliese”とは『アンネの日記』の著者、アンネ・フランクのこと。その名で広く知られる彼女の本名は、アンネリース・マリー・フランクという。
この日記について多くを語るのは野暮であろう。誰しもがその存在を知っていることを願い、ここでは軽く触れるだけにとどめる。
それは第二次世界大戦下。ユダヤ人であったフランク一家は、迫害を逃れるためドイツからオランダ・アムステルダムに亡命するも、そこも後にドイツ軍の占領に合い、一家は「隠れ家」での生活を余儀なくされる。
アンネは、13歳の誕生日に父から贈られた、可愛らしい赤と白のチェック模様のサイン帳を『キティ』と名付け、彼女に語りかけるようにその日々を記していった。
その日付けはたった二年ほど。それ以後、更新されることはなかった。
合唱、ソプラノ歌手、バイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノ―― これらによって奏でられる『Anneliese』が歌うのは、そんな『アンネの日記』に綴られた言葉たち。
音楽は、時に彼女の心情を表し、耳にした音を再現し、光景を描写し、家族で口ずさんだであろう何かのメロディを奏でる。
リハーサルを重ねるごとに、紙上にのみ残されたアンネの日々が、私の目の前で生き生きと、生々しく肉付けられていった。
しかし同時に、その追憶のなかに、私自身もまたチェロの音色として存在をしている。
それは、今までにない不思議な感覚だった。
終演まで、感情をおさえ、冷静に向き合うことが困難な楽曲だった。
涙がこみ上げそうになるのはいつも、悲しい場面ではなく、彼女が幸福な時だった。
隠れ暮らす日々は辛いことばかりではなく、笑い声をあげてしまいそうな出来事や淡い恋模様、家族との心温まる瞬間のあったことが、より私の心を強く打った。
特に、アンネを演じるソリストが流行歌をハミングするシーンは、彼女が当時を生きた普通の少女であったという当たり前の事実を、私に鋭く突きつけた。
楽譜と対峙する視界に、幾度も彼女たちの幻影がちらつく。
ふとすれば、思考は瓦解し、心をとらわれ、それに浸る観客の一人となってしまう。奏でる側ではなく、ただ感受する側に。
奏者は、それがどんな音楽であれ、音を使いそれを描く立場に居続けなければならないのに……
うららかな春のその数日。
私は奏者として、己と戦う日々を送っていた。
私のこの強い思い入れの要因は、母にある。
母は、アンネの生きたこのドイツの暗鬱な時代を追う人だった。
物心ついた頃にはそれは私の目にも入るようになり、テレビの録画リストにはその時代の映画やドキュメント番組のタイトルが散見され、チェロの日課練習を終えリビングの戸を開けると、母がそれを観賞している―― そんな、周囲の友人からはあまり聞かない出来事が、度々起こるようになった。
そういった時の母はとても静かで、私も、まるで吸い寄せられるようにそれに合流した。
ときには、なにかの話の流れから発展し、文献で得た知識を語り聞かせてくれることもあった。
私の生きる日々に「この時代」は、母を媒介として幾度もその顔をのぞかせた。
「正悪」について、母が語ったことはない。
「こう感ずるべき」と、私の考えを導くこともなかった。
ただ、あるがままを、起こった事実を、私にしめす。
母は徹底して、それだけにつとめていた。
そうした反面、本好きな母にも関わらず、こと書籍に関して私の目に触れることはほとんど無かった。
母が、長年かけて集めた書物や資料は、今彼女の手元にはない。
あるタイミングでそのすべてを手放したそうだ。
それは、私の出生であった。
陰惨な内容や写真をはらむ蔵書が、家の中に存在する。まかり間違い、幼い我が子の目にどんなタイミングで触れるかわからない。そしてその時受けるであろう心理的ダメージを、母はおそれたそうだ。
万が一の危険性はなくすべきだ、というのが私の記憶のない頃に両親の下した結論だった。
書物には、版を重ねるごとに修正されるものもある。すなわち、いまではもう手に入らないものもあったということ。
蔵書を手放すという痛み、それらをもう一度取り戻すことの叶わない悔恨は、同じく本を愛するよう育った私には手に取るほどで。
そうさせてしまった原因が私の存在であったことに、ほのあわい濁りのような罪悪感が、私の中にうまれた。
そんな母の訪独中にこのコンサートが催されたことは、なにかの巡り合わせだったように思う。
いや、私にこの仕事が舞い込んできたこと自体、もしかしたら母の存在が引き寄せてくれた「縁」だったのかもしれない。
ステンドグラスから漏れ入る春の陽射しの下、教会で行われたコンサートは、満員の大盛況。
その中に母の姿もあった。
終演後の会場は、拍手とスタンディングオベーションに満たされ、その目には涙が浮かんでいた。
ドイツの地でこの楽曲が公演されるその意味深さを、あれから幾度も思いかえす。

―― そして 現在(いま)
また再びの春が廻らんとする このとき
ニュースが、米・イスラエルによるイランへの攻撃を報じた。
それは、この文章を綴っている、その最中。
この巡り合わせを、私はどうとらえればよいのだろう。
時代もまた、廻らんとしているのか。
春の嵐は、何を生むのか。
私のこの記しが、ありきたりなものに終わることを
ただ、願う。
( コンサート当日のレポートはこちら )




