クラシック音楽をより多くの人に楽しんでもらうために、私ができることは演奏することだけなのだろうか。
演奏家とともに文筆家を目指しているからには、音だけでなく文章でも音楽を発信していくべきではないか。
そう、思い立った。
『本番を控えた楽曲たち』は、演奏会に向けて、今まさに私が取り組んでいる楽曲たちのこと。
膨大に存在するクラシック楽曲のなかから、演奏会というきっかけによって選びぬかれ、今まさに目の前に置かれている彼ら。
それを、ただの楽曲解説として紹介するのではなく。
練習中のエピソード、作曲家への思い、曲の印象、感情。
それらをまじえ、演奏だけでなく言葉によっても、私なりに彩色していく。
そうやって曲に対するリアリティが生まれることで、人はより深くその曲を自分の中に落とし込むことができる。
それは、読んでくださる方だけでなく私自身にも言えることで、言葉という方向から曲を再認識することは、必ず私の奏でる音楽にもつながっていくはずだ。
これからは『本番を控えた楽曲たち』をシリーズタイトルに、私が出会い演奏していく数々の楽曲たちを、その演奏会ごとに皆さんに発信していこうと思う。
ベートーヴェン作曲 三つの二重奏曲 WoO.27
(Beethoven: 3 Duets for Clarinet and Bassoon WoO.27 )
8月30日、ドイツ・フランクフルト近郊のSteinau an der straßeで行われる、
住友理工グループの記念式典
「SumiRiko AVS Holding Germany GmbH Renaming Ceremony 」
気づけば二日後に迫るこのイベントは、ソロ(一人)ではなくデュオ(二人)での演奏となる。
ドイツで私が行っているもう一つの活動、フルートの伊藤むつみさんとの”Duo・Fuga”での本番だ。
メインは日本舞踊の方とのコラボパフォーマンス ”春の海”。
チェロとフルートで演奏する春の海に合わせて日本舞踊が舞う、まさに西洋と和の融合。
それに際し、”クラシック音楽”として私たちデュオが披露させていただくのがこの曲だ。
1790-92年。ベートーヴェンによってクラリネットとバスーンのために書かれた作品だが、今ではさまざまな楽器の取り合わせで演奏されている。
実はこの曲、偽作ではないか?との疑いがもたれている。
演奏してみた感覚では、ベートーヴェン作曲のような気がするが…
確かに思い返すと、そんな情報を全く知らずに演奏していた時、どこかに違和感を覚えていたような。
なんとなく、これってベートーヴェン?という思いを感じていたような気もする。
気になったので調べてみると、とある方がブログの中で、
この第1番第1楽章の冒頭にあるメロディが、同じくベートーヴェン作曲で”春”という愛称で親しまれている、「バイオリンソナタ第5番op.24」の始まりとそっくりだと指摘。
これをモチーフとして他の誰かが書いたということも考えられると書かれていた。
楽譜はこちら
バイオリンソナタ IMSLP51962-PMLP10431-Beethoven_Werke_Breitkopf_Serie_12_No_96_Op_24
二重奏曲 IMSLP11541-Beethoven_Duets
さっそく私も聞き比べてみたが…、確かに少し似ているだろうか。
ただ、この後に別の作曲家も聞いてみようと、試しにモーツァルトのフルート協奏曲などを聴いてみると、同じように似ていると感じるフレーズがいくつか出てきた。
モーツァルト、ベートーヴェン、ハイドンなど、この時代に活躍した作曲家たちは、どことなくお互いに影響を受けていたり、師弟関係であったりしたわけで。
彼らがそうであるならば、それ以外の作曲家たちも例外ではなく。
この頃に書かれたベートーヴェンの他の曲や、同時代の別の作曲家の作品からも、この二曲の冒頭以上に類似する部分を見つけられるかもしれない。
ベートーヴェン自身が作品を発表する際に付けた作品番号には、”Op.”がふられていて、
この曲に付けられている”WoO.”は、1955年にG.キンスキーとH.ハルムによって編集された作品目録のもの。
「Werke ohne Opuszahl」 の頭文字をとったものなのだが、このドイツ語の意味はまさに「作品番号なし」。
そのことも疑惑の理由の一つなのかもしれない。
疑う箇所はないわけではないが、本当はなにを持って偽作とされているのか、ネット上で調べてみてもいまいち要因がわからなかった。
唯一つわかったことは、私レベルでは判断はできかねる、ということ。
ここはやはり、専門家の方々が答えを出す日を大人しく待つことにしよう。
あくまでこの偽作疑惑は、私がネットの中で見つけた一説で、そのことが明確に書かれているものや、この疑惑自体の真偽も定かではない。
この謎が解明される日は、やってくるのか。
ただ、こうやって曲を探求していくこともまた、音楽の楽しみ方の一つになるのではないだろうか。
べートーヴェンの作曲か、贋作か。
気になった方はぜひご一考を。
(※追記
『ベートーヴェン事典』著者:土田英三郎
によりますと、WoO 27は、ベートーヴェンの生前にパリで出版されてはいるのですが、ベートーヴェン本人が作曲したという証拠が何一つ残っていないそうです。
自筆譜もなく、本人や関係者が手紙などで言及した形跡も残っていないとのこと。
早速情報を提供くださった 小室敬幸さま、ありがとうございます!)
それでは本題に戻って。
“三つの”と題名にもあるとおり、この曲は第3番まで存在する。
その中から、今回私たちが演奏するのは第1番だ。
ハ長調で演奏されるこの第1番は、その調の持つ性格からか、可愛らしさの中にもどこか理路整然とした正しさ・清らかさを感じた。
バロック時代のフランスの作曲家・シャルパンティエは、ハ長調について「陽気で勇壮」と述べている。
同じくバロック時代にドイツで活躍した作曲家・マッテゾンは、「かなり荒削りで大胆な性質を有している」と述べていて、ハ長調には素朴で安定感があるともいわれている。
ここで定義されている「勇壮」や「荒削りで大胆」という感覚。
一見、私の感じ取ったものとは真逆のように思われるかもしれないが、私の中ではそうでもなくて。
この言葉を”粗野”というニュアンスではなく、”正しさ・純粋さの強さ”。たとえば何の加工もされていない原石がもつ素のままの力のような。
そういった”強い”のイメージが、私の中では”正しさ””清らかさ”という言葉となって、ハ長調をとらえているのではと考えている。
リズムやテンポだけでなく、どんな調で作られるかによってもその曲の雰囲気はガラリと変わってしまう。
調(キー)は、 曲の持つ重要な性質の一つなのだ。
さて。
実際に練習を始めた私がこの曲に対し、一番に感じたのは”演奏のしにくさ”だった。
元々は管楽器のために書かれた曲のせいか、弦楽器であるチェロにとっては、まず技術的な面でやりにくい箇所が多い。
それは表現面においても同じことで、当たり前の話だが、その楽器のために書かれた曲というのは、楽器の特性や長所を生かすことや、弾きやすさ・表現のしやすさを考え、その配慮が細部にまできちんと行き届いているものなのだと改めて認識した。
しかしフルート側の意見を聞いてみると、元々ベートーヴェンの楽曲は弦楽器的な表現をしていることが多く、交響曲を演奏する際など、普段から少しの違和感や弾きにくさを感じていたらしい。
この曲も例外ではなく、そういう時はお互いの弾きにくい部分を代わりに弾いてみると、奏法的にしっくりくるので、そうやって相手の奏法を聞きあう作業を、最初の練習では何度か行った。
そしてとにかく、この曲はフレーズがとても長い。
特に1楽章は、一呼吸おく暇もないほど次から次へとフレーズがつながっていき、
練習で初めて合わせたときなど、どこでどう呼吸をして切り替えていくのか、その構成のしづらさから、
「なんでこんなことしたんだ!」と二人で思わず叫んだりもした。
全体的にとらえにくく、演奏しづらい曲だなというのが、私たち二人の持ったこの曲への第一印象だった。
弦同士・管同士での演奏は、それだけで音も混じりやすい。
本来の楽器でなくとも、フルートとチェロでなく、同種族同士であればもう少しおさまりもついたのだろうかと考えたときもあった。
けれど、一度冷静に楽譜を見つめ、広い視野を持って構成を整理していけば、どんなにつかみにくい曲もその姿を明確に現していくもの。
難解な曲を紐解き、構築していく作業は大変だけれど、だからこそ演奏家にとっての醍醐味の一つである。と私は思っている。
なにより、納得のいく形に曲が組み上げられたときの達成感はひとしおである。
楽器を弾くだけでなく、二人で意見を出し合いながら流れを決め、それを表現していくことに慣れてしまえば、この曲が本来持っているメロディの明るさやコケティッシュさを楽しむ余裕も生まれた。
それを引き立たせるのに特に重要なのが楽章ごとのテンポ感で、特に途中で曖昧な指示によってテンポが変化する3楽章には、何度も試行錯誤が必要とされた。
今回の本番では1、3楽章のみの演奏となるが、その両楽章がスムーズに流れ、お互いの呼吸がカチリとはまった瞬間のあの喜びは、ソロでの演奏や指揮者のいるオーケストラではなかなか得られない。
複数の人間が対等に作り上げていくからこその難しさを持つ、室内楽特有のものなのだ。
一度の演奏会に向けてだけでなく、レパートリーを持つことを目的に曲を決めよう。
当初、そのことを念頭に作品を精査していき、曲選びに励んだ。
そうして選び抜かれたのがこの曲であった。
苦労は愛着を生む。
おそらくこれから先、私たちは何度も繰り返しこの曲を演奏していき、
そのたびにまた新たに悩み、迷うことで曲への理解を深め、この愛着を深めていくのだろう。
本番を目前に控えた今、私は静かな確信をもって、この曲が私たちのデュオにとって初めてのレパートリー作品となったことを感じている。
本番後記はこちら。
日本舞踊とのコラボ演奏についてをメインに書いています。
上原ありす (Alice Uehara)
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