薔薇になった女流チェリスト 【デュ・プレ】


 

 

イギリス生まれの女流チェリスト

ジャクリーヌ・デュ・プレ

 

数多の男性チェリストたちと肩を並べ、歴史に名を残す女性チェリストといっても過言ではない。

ピンと来なかった人にも「ダニエル・バレンボイムの奥さんであった人」といえば聞きなじみがあるのだろうか…。

 

クラシック好きといっても、オーケストラ・指揮者・ピアニスト・バイオリニストに精通している方は多いけれど、
チェロにまでその触手を伸ばしている方はそれと比べてしまうと、まだまだ少ないように思えてしまう。

ドイツに来て、クラシック音楽好きな方と知り合う機会も、日本にいた頃よりぐっと多くなった。

チェロの音色が好き、そう言ってくださる方は多いけれど
その反面、チェリストの名前を一人だけでも知っているという方とは、今のところほとんど出会えていない。

 

チェロ奏者の私は、チェロという楽器が愛されていることに喜びを感じながらも

そのことが、少しだけさびしい。

 

 

 

 

ダイナミックで情熱的。
堂々と力強く、それでいてのびのびと歌うようなジャッキー(デュ・プレの愛称)の演奏は、多くの女流チェリストたちにとって憧れである。

 

実際には、身体も大きく、手足も長かった彼女の真似をすることは、ほとんどの女性にとっては無理なこと。

私が長年敬愛する師(日本人男性チェリスト)は、その昔、受講していたマスタークラス先で彼女と一緒になったことがあるらしい。

そこで、二人のあまりの身長の違いを面白く思った先生に、腕を組まされ結婚式のようにその場を歩かされたという。

 

そのエピソードを交えながら、私の持っていた彼女への強い憧れを、そのまま演奏につなげてしまうことへの危険を諭されたことがあった。

 

それでも

チェロを続けている上で、女性たちがどうしても感じてしまう悔しさ、憤り。
まるでそれらをすべて受け止め、体現してくれているような。
そんな力が、彼女の奏する音には満ち溢れている。

そこに近づきたいと願う心はとめられない。

 

たとえ世界の多くの人にとって、彼女が “バレンボイムの妻” であったとしても

やはり私にとっての彼女は、絶対的な “チェリスト” のジャクリーヌ・デュ・プレなのだ。

 

 

彼女にとって自国の作曲家であるE・エルガー

彼の作曲したチェロ協奏曲は彼女の十八番であり、ひとつの作品として完成されてしまっている。
その演奏はあまりにもすばらしく、それゆえに後の世のチェリストたちに与えた影響も大きい。

この協奏曲に取り組む際はまず、彼女の演奏イメージをどう払拭するかから始まらなくてはならないからだ。

 

私はこの作品を、幼い頃から子守唄がわりに聞いてきた。


エルガーが愛した妻の名前も「アリス」であり、このチェロ協奏曲は亡くなった彼女への、エルガーの深い愛情と哀愁がこめられている。

そのことも大きく影響し、私の持つこの曲への思い入れは相当なものがあると思う。

心のどこかで少しだけ
“これは私の曲だ”
と思ってしまっている自分がいて
そして確かに今、この協奏曲は得意曲として自身のレパートリーの一つとなっている。

 

クラシック音楽に興味のある方、ない方。
どんな人にもぜひ一度、彼女の演奏するエルガーのチェロ協奏曲を聴いてみてほしい。

映像にも残っているそれは、まるで一篇の映画を見ているような、静かな感動をもたらしてくれるはずだ。

 

 

 

映画といえば。

デュ・プレの名を知っている方の多くは、それと同時に、彼女自身の伝記映画もみたことがあるのではないだろうか。

『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』

内容としては、中々にショッキングなものとなっている。

 

この映画の原作となった、姉弟が書いた彼女の伝記本『風のジャクリーヌ (A Genius in the Family)』を初めて読んだのは、まだ私が10代の頃だった。

大きな衝撃を受けたことも確かだけれど、果たしてこれらの作品を本当に
 “ほんとうの” 
と名付けてしまってよいのだろうかと、そんな疑問が残った。

これはあくまで “家族という他人” が書いた物語ではないか、と私は思っている。

 

日本の音楽学校に7年間通い、海外に出て更に今もまだそのなかに身を置いている私自身。
そしてその周りにみてきた、幼少期より音楽に浸かってきた人々。

確かに私たちは、俗に言う一般的な人間からは少し変わっているのかもしれない。

 

この作品の中に書かれていることの多くは、おそらく事象としては事実あったことなのだろう。

しかし家族ならば、その人間のことを100%理解できているといってしまってもいいのだろうか?

 

チェリストとしての活動で、人生の大半を世界を飛び回り暮らしていた彼女。

実際、ドイツという地で家族と離れ暮らしている私も、これほど通信手段の発達した現代でさえ、家族からの、家族への理解という点で多少の齟齬を感じ、そのことで時折喧嘩へと発展してしまうこともある。

それは、四六時中顔を突合せていた頃には起こり得ない内容のものであったり。

人は生きている限り、時間、環境、出会いによって、必ず内面的に変化を起こすもの。

そんな日々の微かな変化は、やはり近くにいなければ感じ取ることは難しい。

その時なにを感じ、言葉をどう受け取り。
なにに傷つけられたと感じ、どんなものに喜びを見出し。
そして、なにを思って日々音楽と向き合っていたのか…

それは絶対に、彼女自身にしかわからない。

 

私は、
この本・この映画が示しているものは、あくまで真実のジャクリーヌ・デュ・プレの一側面であり、
彼女のあの美しい演奏もまた、彼女自身の表れであると考えている。

 

 

先日、旅行でイギリスを訪れた。
やっと念願叶い、ジャッキーのお墓参りに赴くことができた。

バレンボイムとの結婚の際、ユダヤ教へと改宗した彼女は今、ロンドンにあるユダヤ人墓地に眠っている。

ロンドンの中心地から少し離れているその墓地へは、電車とバスを乗り継いで向かう。
そこからは何の手がかりもなかった割に、あっさりと彼女は見つかった。

 

『多発性硬化症』

その病に侵された彼女は、晩年歩くことも話すことも
そしてチェロを弾くことさえもできなくなり、42歳の若さで亡くなった。

演奏家にとって、楽器を弾くということはもう、好きや嫌いの次元ではない。
生活することの一部だ。

それを失った彼女の心情は、いったいどれほどのものだったのだろう。

白い雲の浮かぶ空はきれいな青色で、それを背景にたたずむ彼女の墓石に手を置いた私は
強い日差しに照り付けられながらも中々その場を離れられず、目を瞑って、
しばらく彼女への祈りを捧げた。


目を開けると、しゃがみこんだ私の顔のすぐ前には
おそらく彼女の名前を冠されたであろう薔薇が、小さくひっそりと植えられていた。

ふと思い立って手を伸ばし、その花びらへと触れた瞬間。
なぜか私は唐突に、ジャッキーはこの墓石の下ではなく

「この薔薇自身に宿っているのかもしれない」

そう思った。

 

白いバラは風に揺られながらも堂々とそこに生き、モンシロチョウやミツバチたちに蜜を与えていた。

 

 

 


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ドイツ在住チェロ奏者、物書き。 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京藝術大学音楽学部を卒業後、渡独。Hoschule für Musik Mainz チェロ科修士を卒業し、現在はHochschule für Musik und Tanz Köin バロックチェロ科修士に在学中。 ドイツと日本の二カ国を拠点とし、演奏・執筆活動を行っている。 詳しいプロフィール・他記事はサイトまで。

4件のコメント

  1. masato shimizu

    ジャクリーヌデュプレの熱い思いの文章を拝読させていただきました。指揮者バレンボイムはその後別の伴侶を得て音楽生活を送っているのを知り残酷な人生の巡り合わせだなと思います。この記事をシェアさせていただきました。

    • 上原ありす (Alice Uehara)

      コメント、そしてシェアまでして下さりありがとうございます。
      デュプレへの憧れから、どうしても複雑な思いを抱いてしまいますが…そこは夫婦のこと、他人からはわからないこともあるのだと。そう思うようにしています。笑

  2. kubota shin-ichi

    とても興味深く読ませていただきました。
    お墓を訪れることは、その方の生きてきた人生に思いを巡らし魂に触れるような感覚になるでしょうね。
    上原さんのエッセイを読んでそう感じました。
    私はウィーンの中央墓地でベートーヴェンやモーツァルト、ブラームスのお墓を訪れましたが、やはり、そこに眠っている方の人生を身近に感じました。
    貴重なお話、エッセイをご紹介くださいまして、ありがとうございました。

    • 上原ありす (Alice Uehara)

      こちらこそ、お読みくださりありがとうございます。
      ドイツに渡り、作曲家たちの生家や博物館を様々巡ってきました。それと共に、お墓への訪問も心掛けています。まだシューマンとクララ、そしてこのデュプレしか実現できてはいませんが…。
      オーストリアはまだザルツブルクのみで、ウィーンへの訪問は叶っていません。お話をお聞きし、俄然興味が。特にベートーヴェンのお墓には必ず赴きたいです。
      ボンにあるベートーヴェンハウスへ訪れた際、彼の生まれた屋根裏部屋を見た瞬間、ある種の天啓のような…そうした衝撃を覚えました。生まれた場所と共に、彼の眠る地へも訪れてみたいです。

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