心が深く沈んでいる。
悲しさや気落ちではなく、「沈考」という意味で。
昨夜はケルン音大で、古楽弦楽器科の合同クラスコンサートが行われた。
(私の演奏の出来については、今は横に置いておくとして。)
そのプログラムのラストを飾ったのは、ウクライナ出身のバイオリン生徒だった。
舞台に現れた彼女は真っ白なドレスを身にまとい、胸元にはウクライナ国旗のリボン。
C.P.E バッハのソナタを演奏した後、拍手が鳴りやむと、彼女は静かに言葉を添え、もう一つ曲を奏ではじめた。
彼女曰く、それは彼らの教会で礼拝の最後に歌われる『Gebet für die Ukraine (ウクライナのための祈り)』だそうだ。
(原語では『Молитва за Україну』)
「言葉もない」とは、まさにあの時の心情を言うのだろう。
実は、彼女とは前学期、他のバイオリン生徒の卒業試験のために、共に室内楽演奏をしていたのだが・・・そのもう一人はロシア人の女性であった。
幾度も重ねた練習の最中、同門ということもあって付き合いが長いのか、彼女たちは時折ドイツ語以外の言語で(残念ながら私はどちらの国の言葉かは判別できなかったが)仲良さげにお喋りをすることもあったし、ウクライナ人の彼女が連れてきた、まだハイハイしかできない赤ちゃんを「可愛いね~」と言い合いながら、練習の癒しに目を細めて眺めることもあった。
彼女が演奏を始めた途端、私の頭の中には唐突にその時の光景が衝撃を伴って呼び起こされ、そこからはずっと、グルグルと、グルグルと・・・頭と心の双方を行ったり来たり、駆け巡り続けている。――― 今でも。
思えば。「三人目」として、私が彼女たちのアンサンブルに加わり、共に音楽を構築して奏でたあの時間、あの経験は、なんと尊いものだったのだろう。
と、同時に。
なぜ私だったのだろう。
なぜ私が、あの経験を偶然にも与えられたのだろう。
そんな思いも湧き上がる。
ジブリ映画『魔女の宅急便』で、私の大好きな言葉に
「血で飛ぶ」
というものがある。
音楽もまた
「血で奏でる」
ことがある。
彼女のあの演奏は、まさにそれであった。
深い深い音。私の心がその音と共に沈んでいった、あの深く、それでいて冷たさではなく暖かさを帯びているあの音色は、あの瞬間、彼女にしか出せなかった音なのだろう。
――― 私はきっと あの「音」を一生忘れない
終演後、すぐに帰ってしまった彼女に直接言葉をかけることはできなかったが、なんだかたまらない気持ちになってしまった私は、拙いドイツ語を詫びながらメッセージを送った。
彼女からはお礼の言葉と共に、こんな言葉が送られてきた。
「Und hoffe dass dieser Alptraum schnell vorbei ist.」
この悪夢が早く終わることを祈っています。
追記:
丁度コンサートが行われていた昨夜20時頃、ドイツではウクライナのために、全土に渡って教会の鐘を鳴らし、ガスやオイルを買うくらいなら暗闇の中で過ごすという意思表示の為、家の明かりを消す運動が行われていたそうです。
上原ありす (Alice Uehara)
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