ひったくりと、演奏家の手

 

日本は、平和な国である。

現代において、それはすでに廃れつつある幻想かもしれません。
しかし、少なくとも私は、20数年の日本生活で、一度も犯罪被害に遭遇したことはありませんでした。

そして現在、ドイツへ来て5年。

 

先日、ひったくり未遂にあいました。

 


 

2019年1月18日の深夜。
オーケストラの演奏会後、打ち上げと翌日に控えた最後の公演に向けての景気づけを兼ね、仲間たちと飲んだ帰りのことでした。

演奏会場所は、フランクフルト市内。
メンバーのほとんどもフランクフルト在住が多い中、マインツに住む私は翌日に備え、少しだけ早く飲み会を退席しました。

同じタイミングで帰路についた友人たちとも途中の駅で別れ、マインツへと向かう電車に乗り換えるため、私は一人フランクフルト中央駅に降り立ちました。

 

このフランクフルト中央駅ですが、あまり治安の良い駅ではありません。

駅前が栄えることの多い日本人にとって、その名前も相成り、つい町の中心をイメージしてしまう『中央駅』
しかし、ドイツの中央駅前は店も少なく、たいてい旅行者のためのホテルが立ち並んでいます。
観光場所やレストランなどが集まる旧市街や中心街は、そこから少し離れた場所に位置することが多く、中央駅前はあまり治安の良い場所でないことが通例です。

もちろん、このフランクフルト中央駅も例に漏れずなのですが、
広い駅舎内は明るくひらけており、空港からの近さと電車の発着本数の多さによって、深夜でも人にあふれています。
もちろん、外と中とで治安の悪さに大差はないかもしれませんが、少なくとも駅舎内において、人気がないという意味での不安感はないのです。

その日も、時刻は日付をまたいでしまっていましたが、駅員さんや電車を待つ人々などが多数見受けられました。

慣れた頃が一番危ない、とはよく言われることですが。
今思えばまさにそんな油断が、私の中にもあったのだと思います。

 

飲み会後だったこと、これからまた小一時間電車に乗り続けなければならないこともあり、
私は駅にある公衆トイレに立ち寄りました。

その日の私の荷物は2つ。
背中に背負ったチェロと、斜めがけのバックでした。

トイレ後、いつもはチェロを背負う前にバックを肩に斜めがけするのですが、
得意のうっかり忘れを発動。

普段であればやり直すところ、電車の時間も迫っていたこともあって
「まぁ、乗ったらすぐに下ろすからいっか」
と、そのまま手に持ってホームへと向かったことが、すべての元凶でした。

 

マインツへと向かう電車に乗るためには、
長距離列車の止まる1階から、地下へと降りなくてはなりません。

私がひったくりと相まみえたのは、そこへ向かう階段の途中でした。

 

下りのエスカレーターが工事中の為(ドイツあるある)
仕方なく階段を使っていた私は、正面から登ってくる男性とすれ違いました。

まさにその瞬間、バッと手持ち部分を持たれ、強く引っ張られたのです。

 

無意識に身体が反応したのか、私は咄嗟に手を強く握り込んでいました。

そしてすぐに
「この中には全部入っているんだから。死んでも離すもんか。」
そんなことを思ったような覚えがあります。

その思いのまま強く引っ張り返すと、犯人はあっさり手を離し、そのまま階段を駆け上って行きました。

 

嵐のような一瞬の出来事にまだ実感もわかず、振り返ってぼんやりとする私の目にはただ、
パンツがずり落ちて半ケツ状態のまま駆けていく、犯人の後ろ姿が映っていました。

なぜ半ケツ状態だったのか。元々そうであったのか、犯行に伴いずり落ちたのか…。
それらは未だ謎に包まれたまま。

ただ、目に焼きついたその光景は、この先もずっと、私の記憶に残り続けることでしょう。

 

ハッとした私が次に思ったのは、電車に遅れることへの危機感でした。

そのまま急いで階段を降りきると、その様子を目撃していたらしい男性が
「何か盗られたの?」
と声をかけてくださいました。

が、その方も、捨てられたペットボトルを集めては換金して小銭を得ている
ホームレス風の方でした。

続けざまのことで思わず笑いが漏れてしまったのは、
そのときの私がまだ、正常な思考に戻りきれていなかったからだと思います。

「何も盗られてないから大丈夫」
そう対応していると、その様子も心配だったのか、今度は若い韓国人の男性が声をかけてくださいました。

「自分も以前、携帯をひったくられたことがあるんだ」 と話を振ってくださいながら、
その方は、ホームまで下るエスカレーターも一緒に降りてくださいました。

お礼と談笑を交わしながらホームへと降り立ち、反対方面の電車へと乗るその方ともお別れ。
あと数分で来る電車を、一人待ち始めた瞬間。
急に思考がクリアになり、今までのことへの実感が唐突に湧きあがってきました。

心臓は音を立てて高鳴り、
「本当に間一髪、奇跡的に切り抜けたんだ」と、今更冷や汗が止まらなくなりました。

そして、すでに終わった出来事であるにもかかわらず、
自宅までの帰り道ずっと、不安感のようなものが心にくすぶり続けていました。

 

『ひったくり』は、自分より非力な相手を狙う、本当に卑劣な犯罪です。
今思えば、犯人が犯行場所に階段を選んだことも、計算のうちだったのだと思います。

正面からやってきた犯人は、背後から私を選んでつけ狙っていたわけではなく、犯行自体は突発的なものだったのでしょう。

しかし、

1、バックを手に持っている

2、楽器をやっていてお金を持っていそう
 (実際は毎日節約生活)

3、楽器が大きく、咄嗟の身動きが取れなさそう
 (確かに、逃げられれば追いかけることは不可能だったと思います)

4、足場も悪くバランスを崩す可能性がある

これらいろいろな好条件がたまたま重なっていたことで、犯行に踏み切ったのだと思います。

しかし、一番の理由はきっと 『女性だから』

女とはいえ私には、多少ながらもチェロで鍛えられた腕力・握力があります。
しかし、力において一般的な男性に適うわけがありません。
今回は、突発的な力であったことと、その反応で相手がひるんだこと。
そして、犯行場所が長い時間人気のない場所ではなかったことで、相手がすんなりと諦めてくれただけの話です。

もう一度、もっと強い力で引き戻されていたら、つられて転倒していたかもしれません。

もしまた同じ目にあったら、今回のようにはいかないだろう…
それが、未だ心に残り続ける、不安の原因なのかもしれません。

 


 

事件から数日がたち、当時のことを冷静に分析する余裕が生まれました。
気付けば、ふとした瞬間に事件のことを思い返している自分がいます。

この事件を通して、私は人の認識について二つの面白い実体験をしました。

 

まずは、時間感覚。

犯人にバックを引っ張られてから、手を離されるまで。
実際の時間としては本当に一瞬の出来事だったと思います。
にもかかわらず、私は下記の様に段階的に思考をすすめ、順序だててそれを行動へと移していました。

手を握り込む
(これはおそらく反応)


「このバックに全部入ってるんだ」

「だから何があっても離しちゃだめだ」

「そうだ、引っ張りかえさなきゃ」

強くひっぱりかえす

[これらをすべて一瞬で]

 

自動車などの大きな事故の際、関係者が
「周りの出来事すべてがスローモーションのようにゆっくりになった」
と、証言する例が多数存在しています。

『タキサイキア現象』と呼ばれるこの現象。
命を守ることを最優先に考えた脳が、思考以外の活動を低下させることによって引き起こされると一説ではいわれています。

目から得た情報が脳に遅れて伝達される為、思考スピードは上がるも、景色はまるでコマ送りのように認識されるのだそうです。

身体の時間と脳内の時間がずれた、あの奇妙な感覚。
私の中にも、未だ強く残り続けています。

 

次に、記憶。

前からやってきてすれ違った犯人の顔を、私は全く覚えていませんでした。
フードをかぶっていたとはいえ、前を見て歩を勧めていた私の視界には、
少なくとも犯人の正面の姿が確実に入っているはずなのです。

しかし、いくら思い出そうとしてみても、ぼんやりとした景色のようなものが蘇ってくるのみ。
相手が黒人であったことも、後ろ姿の半ケツ部分から見えた、肌の色からわかったことです。

 

江戸川乱歩の代表作『D坂の殺人』は、心理学における研究結果を元に、
人間の観察と記憶が如何に頼りないものなのか、そのことをトリックの核として描いています。

作中で、明智小五郎が引き合いに出す ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』
そこにひとつの実例があります。

かつて一つの自動車犯罪事件があった。

法廷に於て、真実を申立てる旨むね宣誓した証人の一人は、
問題の道路は全然乾燥してほこり立っていたと主張し、
今一人の証人は、雨降りの挙句で、道路はぬかるんでいたと誓言した。


一人は、問題の自動車は徐行していたともいい、他の一人は、あの様に早く走っている自動車を見たことがないと述べた。


又前者は、その村道には二三人しか居なかったといい、後者は、男や女や子供の通行人が沢山あったと陳述した。

この両人の証人は、共に尊敬すべき紳士で、事実を曲弁したとて、何の利益がある筈もない人々だった。

 

忘れている分私の方がより情けない話ではあるのですが、今回の現象はまさに、この小説に描かれている通りのことでした。

この『D坂の殺人』は、それまで抱いてきた推理小説の常識を覆され、その斬新さで強く記憶に残っていた作品でした。
思考をめぐらす脳内に、パッとこの作品が思い浮かんだのはそのためです。

人間は、何かを見ていたつもりでいても、
きちんと認識しようと意識した物事しか、脳に刻み込むことはできないのです。

 


 

最後に。

ひったくりはドイツに限らず、世界中で起こっている犯罪です。
それはもちろん、日本でも。

私が日本で犯罪被害に合わなかったのは、たまたま運が良かっただけの話で、
そんな平和ボケした私が、今回被害を切り抜けられたこともまた、本当に運が良かっただけなのだと思います。

ドイツにおけるアジア人女性の盗難被害遭遇率は、周囲からの声や情報を追うに、非常に高いように感じられます。
お金を持っていそうで、体型も小柄で細身の場合が多く、非力に映るのが理由でしょう。
「携帯の盗難は誰でも必ず一度はあう」 そんなことも言われています。もちろん私も経験済みです。

それに加え、最近のフランクフルトでは、おかしな人との遭遇率が増えたように思います。
私だけの個人的な見解ではありますが、なんとなく街自体もフワフワと浮足立っているように感じるのです。

なにか大きな犯罪が起こらなければいいなぁ、とさえ思ってしまいます。

 

今回の教訓はただひとつ。
予防と警戒心を怠らないこと。

振り返ってみても、今回の件に関しては、私自身に反省すべき点が多々ありました。

そして学んだのは、強い意志を保ち続けることが、時には大切であるということ。

いざというときに放つ殺気、と言っては行き過ぎですが。
引く気がないという強い意志は、相手にも伝わっていくのだと思います。
私も今回、犯人との綱引きの際に殺気のようなものを放った自覚がありますので。

ただ、そのことが逆に悪い方向に働くこともあるため、すべての場合において推奨すべきものではないということも理解しています。
手を放さないまま引きづられ、大怪我に繋がる可能性もありました。
人が様々であれば、事件のケースも、それに伴う対抗策も成功例も様々です。

世の中には、いろいろな人が生きています。
犯罪に走る人も然りです。
それはもう、こちらではどうすることもできないこと。

それでも諦めず自衛に努め続けることが、唯一自分が自身のためにしてあげられることなのです。

 


 

自身の運のよさに胸をなでおろす一方
私は、私の手に対して感謝の念のようなものを覚えています。

私自身と荷物が無事であったのは、あの瞬間、無意識に反応した手のおかげでもありました。

バックを持っていた右手は、25年間チェロの弓を握り続けてきた手です。

突然の強音に反応したり、細かい音のニュアンスを調整したり。
例え手汗まみれになっても、一曲を演奏し終わるまでは決して弓を落とすまいと、持ち続けてきた手です。

演奏家の手には、楽器の一部が宿っているのかもしれない。
事件後から、そんなことさえ思うようにもなりました。

 

音楽とはまったく関係のないところ

なのに

まだまだ未熟で発展途上で

それでも「チェロ奏者の手」を自覚する

 

不思議なめぐり合わせに思えました。

 

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【ドイツ在住チェロ奏者・エッセイスト】 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京藝術大学音楽学部を経て、渡独。現在 Hoschule für Musik Mainz(マインツ音楽大学) にて留学中。 ドイツと日本の二カ国を拠点とし、演奏・執筆活動を行っている。 詳しいプロフィール・他記事はサイトまで。

2 Comments

  1. 上原ありすさんの事だったのですか⁉️ドイツでこんな怖い思いをされたことがあるのかと、ただ驚きながら読ませて頂きました。
    よくご無事で何よりでした
    娘がドイツに嫁いでおりますので悲しい思いで一杯です。
    私の孫は高校から東京芸大でピアノを学びました。
    ドイツを愛して頂き機会がございましたら、お母様とドイツでチェロを習っている孫と一緒に演奏を是非聞かせて頂きたいと願っています。

  2. 大変な出来事でしたね。よくぞご無事で! ケガも無くて良かったです。これからも気を付けてご活躍下さいね。

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