2021年2月24日。
また一人、偉大なるチェリストが逝去なされた。
ヴォルフガング・ベッチャー氏
ベルリンフィルの元首席奏者であり、世界で活躍するチェロ奏者であった方。
そして、私にとっては、ドイツへの道を作ってくださった方。
オスナブリュックと草津での二回。私は先生のマスタークラスを受講した。
当時録音していたそのレッスンは、今でも時折聞き返す。
シューマンのチェロ協奏曲、ベートーヴェンのチェロソナタ・・・
特にバッハの無伴奏組曲第二番プレリュードは、ラスト部で先生のオリジナル、いわゆるベッチャー版を授かり、コンクールでもコンサートでも、繰り返し演奏してきた。
指導してくださる声はパワフルで快活。
しかし、多彩な音色を生み出すための、繊細で細やかな音楽への配慮、その姿勢を、いつも私たちに示し続けてくださった。
草津は本当にいいところだと、草を踏みしめ、木漏れ日に目を細めながら笑っていた先生。
黒沢監督の映画が大のお気に入りで、ランチタイムに『七人の侍』について熱く熱く語っておられた先生。
現・上皇后陛下とのピアノトリオ演奏を拝聴できた幸せは、忘れられない。
日本という国を、先生はとても愛してくださっていた。
藝大在学時からずっと、卒業後のドイツ留学を考えていた私は、マスタークラスの折、思い切って先生へとその旨を打ち明けた。
とてつもなく拙かったであろう、当時の私の英語力にも拘らず、先生は熱心に相談へと耳を傾けてくださり、「すでに自分は退官してしまったため、大学で教えることはできないけれど・・・」と、A4用紙にびっしりと、ドイツの音大とチェロ教授のリストを書いて渡してくださった。
ホテルの名が印字されたその紙は、忙しかったであろう先生がその合間を縫って、わざわざ私のためにリストを作ってくださった証。
私は、それを元に先生探しを開始し、ベッチャー先生からのご紹介というおかげもあって、念願だった留学を叶えることができた。
ドイツで生きている「現在」は、先生との出会いがなければ確実に訪れることはなかった。
そのリストはもちろん、10年近くたった今でも大切に保管している。
「父は最後まで毎日バッハの組曲を演奏していた」
これは、先生が亡くなった翌日、ニュースに載った娘さんの言葉。
チェロ奏者の聖書と呼ばれるこの曲を演奏することは、神への祈りに似ている。
それを毎日。欠かさずに。
「敬虔」なチェリストであった、ベッチャー先生―――・・・
日の落ちたうす暗い部屋に、ろうそくの明かりだけを灯して。
訃報から毎夜 ご冥福を祈りながら
先生の演奏するバッハを 私は流し続けている
上原ありす (Alice Uehara)
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