藝大附属高校時代、ユネスコに招致され、オーケストラメンバーとしてパリへ飛んだ
私にとって初めてのヨーロッパは、フランスだった

空の青の強さと、湿気に遮られない直接的な日の光が印象的だった

 

幼い頃、ハイドンのチェロ協奏曲第1番を勉強した際に、先生からこんなことを言われた

「この音を弾くとき、イタリアの青い空を思い浮かべてごらん」

 

その日私は初めて、想像の中だけにしか存在しなかったヨーロッパの空の「青」を目にした

そして
肌を焼くような太陽の強い光は、私にある一冊の本を想起させる

 

 

フランスで、どうしても買いたかったものがあった
作家アルベール・カミュの書いた『異邦人』の原書だ

 

アルジェリア人であったカミュの故郷は、当時フランスの植民地だった
そのため、彼の作品はフランス文学に分類される

あるがままを淡々と列記していく彼の作品は、やはりフランス文学とは少しだけ趣きが違うように感じる
私にとって彼の作品は、あくまでアルジェリア文学だ
その矛盾と葛藤しながらも、初めての訪仏では彼の『異邦人』を入手したかった

 

この本は私にとって、大事な意味を持つ一冊だから

 

 

小学生のとき、祖母を亡くした

身近な家族の死
私にとっては、それが初めての経験だった

私は涙を流せなかった
どこか現実感がなく、強い感情がわかなかった

 

通夜を越え、出棺の朝
棺に花を手向けていく
さっきまで笑っていた人たちが、いきなり嗚咽をもらしはじめる

「泣かなくては」
そう強く思い、やっと少しだけ涙がでた

 

このときから私は、私自身に疑問を持つようになった

 

 

「もしかしたら私は、
 母が亡くなったとしても、悲しみを覚えないかもしれない」

 

それは、自分自身に対する恐れだった

そうした恐れを抱いたまま時を経て、私はカミュの『異邦人』と出会う

 

 

本の中の主人公・ムルソーに
私は私の影をみた

そうしてなぜか、自分を少しだけ許されたような気がしたのだ

教会の懺悔室で、自らの罪を吐露する人々のように
いつの間にか抱いていた罪悪感への許しを、この一冊が与えてくれた

 

 

「お葬式の日、私も涙がでなかったのよ」

そう私に母がつぶやいたのは、その出会いの少し後のことだった
『異邦人』を私に与えたのは、母だった

 

「それまでの方が、ずっと色々な感情に左右されてた
亡くなってからは慌ただしさに追われて、ゆっくりと悲しみに浸る余韻もなかったし、悲しみとは別の感情につつまれてた」

そうこぼしていた

 

祖母はずっと、家のお墓のことを心配していた
私たちが亡くなったら、誰が守っていくのだろうと

「私が守るよ」
そう約束を交わしたとき、祖母は本当に安心した様子で、私が目にしたなかで一番嬉しそうな顔をしていた

祖母が脳溢血で倒れたのは、それからすぐのことだった

 

おしゃべり好きの祖母が話すこともできず、病院のベッドで無数の機材につながれている姿は、私に強いショックを与えた

意識があるのかもわからぬ状態でも、痛みだけは感じることはできるのだと
そう聞いたとき、私の心は非常な苦しみにおそわれた

 

私も母も
“悲しい”という感情は、そのときにもう使い切ってしまったのかもしれない

 

 

 

初めてのフランスは団体行動が義務付けられ、個人の自由行動は許されなかった
自由時間が与えられたのは、最終日のほんの数時間
シャンゼリゼ通りの範囲内だった

私は書店を探し、カミュを探す
そこで私は、自分がフランス語での『異邦人』の題名のわからぬことに気づき、呆然とした

 

時間のない中、次々と本を開いていく

「今日、ママンが死んだ」

その言葉だけは、フランス語でもわかるはずだと
それだけを求めて、ただひたすらに書き出しを追った

 

そうしてついにたどりつく

“Aujourd’hui, maman est morte”

 

 

 

11月7日
アルベール・カミュはこの世に生を受けた

敬愛する作家の生まれた大切な日、私はこの文を記している

 

 

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【ドイツ在住チェロ奏者・エッセイスト】 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京藝術大学音楽学部を経て、渡独。現在 Hoschule für Musik Mainz(マインツ音楽大学) にて留学中。 ドイツと日本の二カ国を拠点とし、演奏・執筆活動を行っている。 詳しいプロフィール・他記事はサイトまで。