この世はひとつの劇場に過ぎぬ。
人間のなすところは一場の演劇なり。
アガサ・クリスティ
幼い私の身近には、いつもミステリーがあった。
エドガー・アラン・ポーの「黒猫」
私が初めて出会ったミステリー小説。
まだ幼い手で、怖いもの見たさに取ったこの本に惹かれ、私はその世界へと足を踏み入れていく。
はやみねかおるの描いた「夢水清志郎シリーズ」
子供向けに描かれながらも、本格的な推理小説の面白さをはらむこの作品から、
小学生の私は、名探偵の『美学』を学ぶ。
北村薫の推理小説からは、謎の持つ美しさと哀しさを教えられた。
彼の作品は、エッセイから長編にいたるまで、メモを取りながらほぼすべてを読破した。
そして私は、国内外を問わず様々なミステリーと名探偵を知ることができた。
私のミステリーへの関心は、本のみに留まらず…
母は私に勝るミステリー小説好き。
物心ついた頃から我が家のテレビには、国内・海外、新作・旧作とあらゆるミステリードラマや映画が流れていた。
そこで私が興味を惹かれたのが、アガサ・クリスティ。
イギリスのクリスティドラマシリーズが流れれば好んで便乗し、母娘で鑑賞する頻度は増えていった。
母の所有していた彼女の小説も譲り受け、読みふけった。
ミステリー性だけでなく、作品に描かれる外国の生活風景や歴史、ファッション。
それらも私を強くひきつけた。
ミステリーが好きだ。
しかしそう明言すると、決まって次に聞かれるのが
「お気に入りの名探偵は?」
ここで私はいつも答えに窮する。
私の中にはいまだ、絶対的な名探偵が存在していない。
「安楽椅子探偵」
ミステリー作品に触れていくにつれて、私はその存在へと強い憧れを抱くようになった。
高い知能と推理力で、現場へ赴かずとも話を聞くだけで事件を解決してしまう。
それが安楽椅子探偵の定義だ。
しかし、現段階において完璧なる安楽椅子探偵はこの世に存在しない。
人気を得て連載やシリーズが続いていくと、単調さを避けるためにどうしても、作者は探偵役を外へと動かさざるをえなくなる。
それが安楽椅子探偵の生まれない、ひとつの理由とされている。
私は完璧なる安楽椅子探偵の出現を、切望している。
その上で、
安楽椅子探偵とは真逆ではあるが、私のお気に入りの探偵の一人は「エルキュール・ポワロ」である。
私の美学に反し、探偵を職業とはしていないけれど「ミス・マープル」も捨てがたい。
マープルとポワロ。
どちらもアガサ・クリスティが生み出した探偵たちだ。
卵形の頭に、ぴんと跳ね上がった口髭。
自身の「灰色の脳細胞」に絶対的な自信を持ち、プライドが高く美食家。
紳士的でありながらも、フランス人に間違われると突如激昂する。
アガサが作り上げた、このどこかコケティッシュで憎めない名探偵エルキュール・ポワロ。
鏡の国のアリスに登場するハンプティ・ダンプティについつい重ねてしまっては、親近感を覚えるのも彼を好む理由のひとつだ。
(イギリスのドラマシリーズでの、デヴィット・スーシェ演ずるポワロ)
アガサ・クリスティの作品中、私は「オリエント急行の殺人」が好きだ。
数々の名作を残したアガサだが、この一作品には、まさに名作の名がふさわしい。
ポワロが好きだからこそ、ラストの彼への思いが募るこの作品が特別なのだ。
2017年11月、そのポワロが活躍する映画が公開された。
アガサクリスティの名作「オリエント急行殺人事件」が新たにリメイクされたのだ。
「オリエント急行の殺人」の映像化はこれで四度目となる。
積雪によって立ち往生するオリエント急行。
そこで実行される殺人。
日本での公開が始まった12月8日のまさにその日。
私もまた雪の中をかける車内にいた。
そして、ミステリーじみた舞台でチェロを演奏する。
演奏依頼を受け、私たちは目的地へと車を走らせていた。
そこで突如、吹雪に見舞われる。
向かってくる大粒の雪に視界が遮られ、対向車の明かりのみを頼りに、鈍足で高速道路を進んだ。
東京で生まれ育った私にとって、目の前で起こる光景は初めての体験。
対向車が途切れれば、少し先のガードレールさえ見えない。
そんな危うさに、私の鼓動は常より早まっていた。
そして、古城ホテルが目の前に姿を現した。
(Schlosshotel Kronberg – クロンベルク古城ホテル)
ミステリー小説の幕開けとして、ここまでのシチュエーションは完璧だ。
そして足を踏み入れたホテル内部も、まさに物語の舞台にはうってつけ。
古めかしく重い扉。
大理石の床から鳴る高い靴音。
揺らぐ蝋燭の灯りの中での会食。
まさに私が幼い頃から想像してきた、ミステリー小説の世界だった。
その世界に浸りながらチェロを演奏できる喜び。
あのときの光景を思い返すと、私の胸はいまだにあつく高鳴る。
我々の楽屋として鍵を渡されたのが、二階のキャビネットルーム。
そこには美しい装飾に彩られた、鏡が置かれていた。
暖炉の上の大きな鏡。真ん中に置かれた置時計。
ジョン・テニエルの描いた、鏡を潜り抜けるアリスの挿絵が思い浮かんだ。
演奏後、私はその鏡と一人対峙した。
鏡に映るありすは図らずも、その鏡を潜り抜けることをせずとも、幼い頃からあこがれてきた美しい世界へ降り立つことができた。
ヨーロッパで演奏活動をしている醍醐味というものを、強く感じる。
同時に、物語のアリスと違い、私は決して一人の力でこの場に存在しているわけではないことも痛感していた。
クリスマスは、感謝と祈りの日。
聖なる日に向け、演奏会の予定はまだ控えている。
敬虔に、感謝の気持ちを捧げながら臨んでいきたい。
上原ありす (Alice Uehara)
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