先日、
普段、漠然と用いている「芸術」という概念について、少しばかり考えてみる。
|小室 敬幸|note(ノート) https://note.mu/kota1986/n/na63c5a18d3f1
という記事に出会った。
18世紀から19世紀にかけての芸術観の変遷について書かれたもので、そこには18世紀頃までの芸術への考えとして、こう記されている。
『芸術(技術)は自然を模倣する』
このときに蘇ったのが、森茉莉の文章とモーツァルトの音楽に、私が感じ取った共通性
「本来人の手では生み出すことのできない、自然的な美しさ」だった。
弟・不律と共に百日咳にかかり、生死の境をさまよった森茉莉。
彼女はこの幼い頃の体験を、後に「二人の天使」という随筆に残した。
そこにはこんな一文があらわれる。
生の天使と死の使いとが門の敷居に小さな翅を休めていた、生の華やかさと、死の寂しさとが人々の胸に交錯した、それは不思議な葬式であった。
私はこの門の上に、雨上がりの空を見る。
弱まった雨が糸雨となり、雲の切れ間から光が差し込む。
二者の使いの、トンボのように透明で薄く繊細な翅が、きらめいては色を変えていく。
一文の中、言葉というパズルのピースが、それぞれの正しい場所へとはめ込められている。
無数から選びとられたこのピースたちによって、この並べられ方をされなければ、
私はこの風景に光を見出すことも、玉虫色に艶めく翅を想像することもできなかっただろう。
作家・小川洋子は、森茉莉の文章を鉱物に例えている。
ある特定の成分が、ある特定の条件にさらされた時、ひとつの鉱物が誕生する。
人間が手出しなどせずとも、自然は自らが持つ設計図に従い、最も抵抗の少ない形を作り上げてゆく。
こうして全く無欲に生まれた結晶が、本質的な美を表現する。
私は森茉莉の文に、モーツァルトの音楽を聞いた。
『神童』
そう呼ばれるただ一人の作曲家。
“ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト”
モーツァルトはわずか3歳にしてチェンバロを奏し、5歳で彼にとって最初の作品となる鍵盤楽曲を作曲。
天才の呼び名を欲しいままにする。
(モーツァルトが5歳のうちに作曲した、五つの作品)
『神童』『天才』
そう謡われるモーツァルト。
しかし「彼の音楽は退屈だ」そんな評価をよく耳にする。
彼の作品は、見えない何かの力に導かれるように
あるべきものが、あるべきかたちをとり、あるべきところへおさまっている。
正解のないはずのものなのに、正解だと感じてしまう。
その結果、作品は流れるように自然になり、単純で明解。
ゆえに、つまらないという感想も生まれるかもしれない。
けれど、一部のすきもなく間違いもなくはめられたパズルのピースは、それゆえに光を放つ。
それは、人の手では生み出せない光。
あまりに自然的なものは人為的なものを感じさせないということ。
すなわちそれには神意が宿る。
モーツァルトの音楽のもつ自然的な力は、鑑賞する人体にも影響を及ぼす。
その『癒し』の効果は科学的にも証明がなされている。
一説では、彼は脳のドーパミンが減少するために起こる「注意欠陥他動性障害」であったと推定されており、それを和らげるため無意識に『心地よい音』をもとめたのではないかと考えられている。
その研究では、19人の作曲家から100曲を選んでラットに聴かせ、
そこでもっともドーパミン数値の上昇を見せたのが、
モーツァルト作曲「デヴェルトメント第7番 K.205 アダージョ」だったという。
(「デヴェルトメント第7番 K.205」アダージョは4曲目)
1756年、ザルツブルク。
宮廷の副学長を務める父のもとに誕生し、まるでその才能を予知していたかのごとく「アマデウス(神に愛されたもの)」と名づけられたモーツァルト。
対して、森茉莉が生まれたのは1903年。
彼女は、文豪・森鴎外を父に持つ。
生きた時代に150年もの隔たりがあるこの二人。
しかし、作品だけでなくその生い立ちや人間性にも、共通する部分を見出すことができる。
【偉大なる父を持ち、溺愛される幼少期】
モーツァルトの才能をいち早く見出した父は、彼の才能をみがくことに専念。
クラヴィーア(鍵盤楽器の総称)、ヴァイオリン、オルガン、作曲、ラテン語、伊語、仏語、英語。
すべてを父親自らが付きっきりとなって教育し、息子の世界を広げるためにと演奏旅行にも連れ出した。
一方森鴎外は、長女である茉莉を家族の中で一等可愛がり、常にそばにおいていた。
その相思相愛ぶりは、16歳になるまで彼女が鴎外のひざの上に座っていたほど。
誰よりも文豪の心と生活に寄り添っていた茉莉は、自然と父親から文学というものを受け継いでいく。
教育方針に違いはあれど、彼ら二人にとって「父」というものの持つ影響力、その存在は絶対的なものとなった。
ある意味それは、自分自身よりも大きなものだったのかもしれない。
“こどもがそのまま大きくなったような人”
“いつまでも少年・少女のような大人”
彼らの文献の中には、必ずこの言葉があらわれる。
もしかしたらこの二人は、その生涯を「父」の息子・娘であり続けたのではないだろうか。
【奔放な生活、寂然な死】
二人は共に”結婚”という形をもって、父の庇護の元から離れることとなる。
“音楽のみ”の教育を施されたモーツァルト。
甘やかされて育った森茉莉。
彼らは生活能力がなく、金銭面においても奔放だった。
モーツァルトが残した作品数は626曲。
作曲やレッスンなどによる2000万円近い年収は、当時においてもかなりの高額所得者だった。
そのうえ、彼が一度自主演奏会を行えば、その稼ぎは一気に300万円ほど。
しかしその収入を賭け事や貴族生活への浪費に費やし、ついには自身の死後の葬式代もお墓もなく、共同墓地へと埋葬。
それでもなお、4000万円ほどの負債を抱えたまま亡くなった。
一方森茉莉は、二度の結婚に恵まれるが、共に10年に満たず離縁。
長らく無職で父親の残した作品の印税収入により生活し、それが切れたことにより文章を書き始める。
その後、世に出す作品が次々と賞を受賞。
しかし、幼い頃から培われたいわゆるお姫様生活からは抜けられず。
小さなアパートの部屋で独り心不全で倒れ、死後二日経ってから通いの家政婦に発見された。
その最期はどちらも、貧困と孤独さの漂うものであった。
才能を現す英語のひとつに“gift”というものがある。
ドイツ語においても“begabt”(=begaben:贈る、与える)が才能を指す言葉の一つにあり、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」には、幾度もこの言葉が登場する。
中学生で「車輪の下」と出会った私は、この言葉から、才能というものは“贈り物”なのだと改めて教えられた。
私にとって美しいと感じるもの、心が動かされる作品は
音楽にも小説にも、他にも多数存在する。しかし…
「ああ、これは、天賦の才が与えられた人にしか生み出すことのできない作品だ」
と感じてしまったのは、モーツァルトと森茉莉、ただ二人だけ。
小川洋子はこう続ける。
誰に教えられたこともないのに、赤ちゃんが生まれてすぐおっぱいを吸えるのと同じように、森茉莉は小説が書ける人なのではないかと思う。おっぱいを吸う赤ちゃんの姿に畏怖を感じ、感動するのと同じものを、私は森茉莉の小説に感じる。
彼らの作品は、小川洋子の言葉を借りるならば
“何かと何かを混ぜたり引っ付けたり伸ばしたり叩いたり”のない、自然、そのもの。
そして、神意という光がうまれる。
今後、この二人の残した作品に多く触れ、分析的に探求し、
私が見つけ出したこの感覚を、より確かな形で証明していきたいと思っている。
上原ありす (Alice Uehara)
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森鴎外のお嬢さんの短い文章 言葉の選択の隙のなさ 確かに秀逸でモーツァルトの音楽と共通ですね。音楽は真理の体現だと思うので それを 本物は無意識に表すいや、授かる。それを とても分かりやすい文章で表現されて凄いですね。だから チェロで響かせることができるのですね
深い尊敬と感謝を贈らせて頂きます
ありがとうございます
いつか 生演奏を拝聴させてください