泣き顔のプリクラを撮ったことがある。
1995年、プリクラの初期モデルとなる「プリント倶楽部」が世に登場した。
私が5歳のときのことだ。
ゲーセンだけではなく、子供の遊び目的のためかスーパーなどにも置かれていたプリクラ機。
今のように落書きもできず、明るさや目の大きさを変えることもできず。
フレームを選んでただ撮るだけという、シンプルなものだった。
画質も悪い。
買い物に退屈していた私の気分転換と、目新しいものを面白がるだろうという軽い気持ちだったのだろう。
母に手を引かれ、隅に置かれたその機械へと連れていかれたことがあった。
私は、カメラに向かって笑顔をつくることの苦手な子供だった。
カメラを向けられるたび、私の心の中には「どうやって笑ったらいいの?」という疑問があふれ、うまく笑顔を作れているのかいつだって緊張した。
笑わなければと思えば思うほど、どう笑っていいかわからなくなっていく。
一緒に撮影する横の友人たちが、何の苦もなく自然といつもの笑顔をつくれることが余計に、
こんなことを考えているのは私だけなのではないか、という不安をあおった。
その日はことのほか駄目だった。
自分で納得がいかず何度もやり直し、ついには回数の限界を迎える。
可愛らしいフレームに収まった私は、泣きべそをかいていた。
私の母は、写真を撮ることが好きだ。
思い返してみると、カメラを向けた母が私に笑顔を強いたことは一度もなかった。
自然に笑う私の姿を追いかけ、シャッターをきってくれていた。
写真の中の私は、確かに笑っている。
やはり母親。
内面にうずまく私のその苦手意識を、感じ取っていたのかもしれない。
そして、写真に対する苦手意識は、成人した今も変わらず私の中に在り続けている。
ここ最近、三週間で二回撮影を行った。
この怒涛の日々を、私は『広報活動強化週間』と名づけた。
プロフィールカード作りやチラシ作り、そのための写真撮影などに追われるなか、
演奏活動における “写真” というものの持つ重要性を再認識している。
演奏家にとってもっとも大切なのは、もちろん演奏で “音” である。
写真にそれを記録することはできない。
しかし、プロフィール写真を持たない音楽家は存在しないし、演奏会のチラシもCDのジャケットも “写真” だ。
自分はどんな演奏家なのか
どんな音楽を奏でているのか
写し、込める
それが演奏家における “写真” の意味だ。
写真撮影の前日は、緊張でなかなか寝付けない。
目を瞑っても、頭の中でシュミレーションが終わらない。
苦手な表情のみならず、ロケーションやポージングについても、ある程度パターンを考えていかなくてはならない。
コンセプトのない撮影では、ただの観光写真やスナップ写真しか出来上がらない。
特にチェロという大きな楽器を持ちながらの撮影は、ポーズが制限され、ありきたりなものばかりになってしまう。
型を破りながらも、見目のいいポーズ。
それが今後の課題だ。
撮影を重ね、前回を振り返り反省しても、新たな課題が増えるばかり。
この先慣れる日など来るのだろうか。
しかし、何度か撮影の機会に恵まれ、表情ばかりに気をとられず、ポーズにまで気を回せる余裕も生まれた。
確実に苦手が克服されていることを実感している。
つかんだ仕事が継続するか、
そこから新たな仕事へとつなげていけるかは演奏次第。
しかし、写真をきっかけにして、仕事につながることもある。
人間は選択する自由を持っている。
その音楽家の演奏会に足を運ぶか
動画を開くか
CDを購入するか
実際に音楽を聞いてもらうまでのプロセスは険しい。
そんな時、経歴や活動実績の他に、視覚的効果というものが人に与える影響は大きい。
演奏家にとって、写真がもたらしてくれるチャンスもまた、確実に存在している。
10月後半。
ドイツの木々は色づいている。
こちらの秋には赤色が少ない。
黄色ばかりだと嘆く日本人の声もよく耳にする。
しかし、澄んだ青空のもと日差しを浴びた黄葉の木立は、いっせいに金色に光り輝く。
その様は、とても美しい。
慌しかった日々を終え、ドイツの秋を楽しむ日常が戻ってきた。
上原ありす (Alice Uehara)
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