『リリー・マルレーン』を流す夜
故郷の恋人を想う兵士の歌に
私は亡くなった祖母へと思いを馳せる
コロナウィルスによる騒動も、現在のドイツではひと時の落ち着きを見せている。
しかしそれも第二波前の静けさ、と言われてしまえばそれまでで、国そのもののロックダウンは無きにせよ、感染者の増加によっては地域や州ごとのロックダウンはこの先も有りうるだろうと、ドイツ在住者たちは懸念する。
少し前にも、食肉処理工場集団感染を受けてのNRW州ロックダウン再開。そしてつい先日には、オッフェンバッハでの接触制限措置再導入が決定された。
また、7月中旬には近郊であるフランクフルトのオペラ座前にて集団暴動。そのひと月前にもシュトゥットガルトにて同様の事件が発生している。
日常生活はひとまずの回復をみせてはいるが、数カ月に及んだ外出規制と未だ続く不自由さにより、人々の心はいまだ浮足立ち、なんとなく落ち着かない空気が残る。
きっと、それらすべてを含み「コロナ余波」と呼ぶのだろう。
こうした現状によって、家でひとり過ごす時間が圧倒的に増えたここしばらく。
だからだろうか。気づけば自身の内側に意識を向けていることが多い。
夏が訪れ、日が延びて。
そうしてやっと、窓の向こうに夜の帳が落ちるころ。
センチメンタルな音楽を求め、部屋に流す。
歌うのは マレーネ・ディートリッヒ
ここ、ドイツで生まれた女優だ。
彼女は、ドイツ・トーキー最初期に銀幕デビューを果たし、その後アメリカに招かれハリウッドデビューを遂げる。
『退廃』と『官能』を代名詞とした彼女は、時にボディラインを際立たせるゴージャスなドレスを身にまとったかと思えば、一転して燕尾服とシルクハットで、咥え煙草を燻らせる。
男性性と女性性、その二つの美しさを醸し出す中性的で稀有な女優。
当時契約していたパラマウント社が、際立って美しい彼女のその脚線を守るため、脚そのものに100万ドルの保険をかけたという逸話は有名なもの。
ハリウッドへ渡った後も数々の映画作品に出演し、押しも押されぬ大女優へと上り詰めていく。
しかし時代は、第二次世界大戦期に突入。
ドイツの指導者であったヒトラーは、再三彼女に故国への帰還を求めたが、彼女はこれをピシャリとはねのけ
「嘆きの天使」のガーターベルトを、ヒトラーに渡すもんですか
その後、ドイツは彼女の入国禁止と出演作の上映禁止を決定。新聞は「金で買収された裏切り者」と彼女を罵った。
愛する故国との断絶。
その悲しみに暮れながらも、彼女は反ナチスへの姿勢を貫き続ける。
カメラマンも連れず、女優としてのマレーネでなく、自分自身として。
歌曲「リリー・マルレーン」のみを携えて、戦地へ赴き、兵士たちへの慰問公演を繰り返した。
時に砲弾をかいくぐり
時に自身の命も危険にさらしながら……
勇ましく美しい彼女は、私の愛する女優——— そして、祖母の愛する女優でもあった。
私がそのことを知ったのは祖母の死後で、私たちが彼女について語り合う機会は、もう永遠に訪れることはない。
ノイズ混じり、深く響くディートリッヒのハスキーボイス。
静かな夜に滔々とたゆたう彼女の歌声に泣きたくなるのは、私の心をチクリと刺す、そんな後悔の棘があるからだ。
演奏家として曲を表現するためには、その背景に存在するものを知らなくてはならない。
曲を知るために作曲家を学び、作曲家を学ぶために国を学び。
歴史、文化、宗教、暮らし――― そうして数珠繋ぎに、学ぶべき知識は広がっていく。
授業や書物から拾い得た知識を、映像として私に植え付けてくれたのが「映画」であった。
そして、現実ではまだ見ぬ「外国」が画面に映されるたび、私はそこで実際に暮らし学ぶことにも強く焦がれるようになっていった。
私の西洋への憧れは、音楽と本によって生まれたが
それは映画の力も借りて肉付けされていき、今、私がドイツにいる現実を形作っている。
そのこともあって、日本にいた頃の私は、映画といえば洋画ばかりを鑑賞していた。
もっぱら古い時代の物を好み、白黒映画は勿論、大学時代にはついに無声映画にまでも食指をのばす。
そのひとつとして、偶然鑑賞した『吸血鬼 ノスフェラトゥ』
作中、棺桶を自力で運ぶ吸血鬼の独特なユーモラスさに、思わず笑い転げていたあの日の自分は、よもや後に留学したドイツの映画博物館でそれと対面し、有名なものと知って驚愕を覚えるとは予想もしていなかった。
その反面、思わず得ていたドイツとのつながりに、喜びも覚えた。
映画は私にとって、縁を与えてくれるものであり、教材であり…… しかしそんなものはただの建前。映画を観ることは、ただただ楽しい。
楽器の練習に疲れたとき。本番や試験終わりに。
ぼんやりと眺めるだけで別世界に誘ってくれる映画鑑賞は、音楽に追われる日々における、ひとつの骨休め。
いわば私の、立派な「趣味」である。
こうした自分の趣味、嗜好を振り返るとき。
家族の縁から継がれたものを強くおもう。
私の曾祖母はお茶とお花の先生で、母もその手ほどきを受けていた。
当時、曾祖父母の家にテレビはなく、夕暮れ時に流れるのはラジオからの落語や朗読の声。そこに時折、着物を着た曾祖母がキセルの灰を長火鉢に落とす「カツーン」という独特の音が響く。
その光景は、江戸の時代がまさに目の前で生きているようで……強く目に焼き付き、生涯忘れられないだろうと後に母は語る。
食道楽でお酒好き、手遊びに三味線をかき鳴らす。
「粋(いき)」な人。
日本の古き芸術・文化を愛し、それを体現するように生きる人。
それが、会うことのできなかった私の曾祖母。
平安時代を好み、中学時代には百人一首部に所属した私の、日本の古典的文化を愛する心は、曾祖母から母、そして私へと受け継がれたものだと思っている。
祖母はその真逆で、現代的で新しきものを愛するハイカラな人であった。
ヨーロピアンよりアメリカン。クラシックよりジャズを好んだ。
文明の利器を自分の生活にどんどんと取り入れ、幼い私が遊びに通った祖父母の家では、一日中テレビが切られることはなく流れ続けていた。
その娘である母は、本を愛する人だ。
曾祖母の趣味が色濃く、古典的な文化や芸術に関心を寄せた。それは日本だけに留まらず、外国文化へも伸びた。
現代的な家庭の中で、古き良き外国文学や詩を読み漁り、目を悪くしたのは読書のせいだと小言を言われたこともあったらしい。
私の「ありす」という名前も、その中で生まれた。
高校時代にはすでに、娘が産まれたら『赤毛のアン』か『不思議の国のアリス』のどちらかにすると決めていたそうだ。
そんな母の口から語られる祖母との思い出に「映画」の存在があった。
まだ学生時代の母が夜中にリビングに立ち寄ると、白黒の映画を流すテレビと祖母の姿。
そんな場面に、幾度も遭遇したことがあるらしい。
それはいつも、密やかに一人。
祖母の手元には、無色透明なドライジン。
そして仄暗い部屋に瞬くのは、テレビの白い光だけ。
広がるのは、静かで色のない世界だ。
昼の鮮やかで華やかな祖母の姿とは真逆なそれは、娘心に強烈な印象を残したのだと母は言う。
その空間を壊したくなくて、いつも静かに隣に座っては、ただただ一緒に映画を観ていたのだ、と。
そんな思い出話が語られたのは、私がお酒を飲めるようになった頃。
グラスを交わしながら、亡くなった祖母を偲ぶように、ぽつりぽつりと紡がれた。
祖母の好きだった映画、俳優、音楽。
そう、私が惹かれたマレーネ・ディートリッヒを、祖母も愛していたのだと教えられたのもその時だった。
頭によぎった無色な世界に佇む二人の姿。
それはまるで、白黒映画のワンシーンのようで――……
しかし、ふと現在(いま)へと立ち返れば、その光景は私と母に姿を変え、確かな色をもって目の前に広がっているのだ。
こちらへ渡り、数年を経た。
学ぶべきことは日々増えていくばかりだが、暮らしというものには慣れつつあるこの頃。
最近では、日本にいる頃とは真逆に、本も映画も、あえて日本のものを手にすることが多くなってきた。
その行動の発露は、懐かしさといった感情とは少し違う。
「当たり前」という無意識から感じ取ることのできなかった「日本らしさ」
国を離れたことで、ひとつの国の文化として捉えられるようになったのだ。
少し前まで、ただ楽しむだけだった邦画から「日本文化」を感じ取るようになったのも、ここ最近の話。
独特のテンポ感。
全体が帯びる寂寥、淡い色彩感。
激情的な内容にも、どこか感じる静けさ。
理解していたはずだった自国の文化の輪郭を、より強く感じるようになった。
そしてそれを、改めて面白いと思う。
外国人が日本人に対して抱く困惑。
何を考えているのか、本音はどこにあるのか。
綺麗な言葉に言い換えるならば、ある種の奥ゆかしさなるもの。
暮らす中では確かに、窮屈さを覚えていた。
しかし、ハッキリと主張を発言するべき、そしてそれが許されるコチラだからこそ。
『とらえどころのない』 という文化もまた存在する意義はあるのだと、考えに変化が生まれた。
抑揚があるからこそ音楽は生きる。
音をならすこと、音をとめること。
こちらでの音楽の授業を通して、私は自身の『静』 への意識の薄さを痛感した。
動を生かすために、静を学ぶ。
自分の血には静の文化が流れ、間という言葉が存在し、それらは芸術に昇華されて現代を生きている。
授業で学んだ水墨画の余白に、修学旅行で訪れた枯山水の白砂に。観劇した雅楽に、能楽に。
新たに学ぶことを享受しながら、自身の血に流れるものを反芻する日々を送っている。
上原ありす (Alice Uehara)
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