生まれたての赤子が放つ産声。
「生」と同義のその声には、生命の輝きと強さがある。
来たる2020年は
「楽聖」と呼ばれる作曲家―― ルートヴィヒ・ヴァン・ ベートーヴェン
の生誕250周年というアニバーサリーイヤー。
彼は1770年の12月16日に生まれたとされ、言うなれば今日が、彼の249歳の誕生日である。
ベートーヴェンの作曲した全5曲のチェロソナタ集は、我々チェロ奏者が永遠に取り組み続ける課題曲の一つ。
バッハの無伴奏組曲が、チェリストたちの「聖書」と呼ばれ、
私にとっては現在の自分自身をありのままに映す鏡ならば
彼のチェロソナタを演奏する時の私は、今持てる限りの技術力と表現力をもって、真っ白なキャンバスへと立ち向かわんとする心意気を抱く。
年月をかさね、幾度もこの曲へと取り組むうち、深い愛情と血肉の通った人間らしいあたたかさを孕む曲調から、幼い頃に抱いた一般的なベートーヴェンのイメージは早々に打ち砕かれ、更に彼の心の奥へと思いを馳せるようになった。
そうして彼は私にとって、作曲家としてだけでなく一人の人間として、敬愛の念を抱く特別な存在となった。
ボンにあるベートーヴェンハウスには、今までに三度訪れた。
一度目は、まだ留学を決める前。
その望みを伴って、ドイツで行われるマスタークラスに、単身乗り込んだ帰りのことだった。
ボンは私にとって、特別な二人の作曲家の足跡が残る街。
ベートーヴェンとシューマンを訪ねるために、どうしてもと強行スケジュールを決行した。
そして訪れた『ベートーヴェン ハウス』
それは私にとって、今まで楽譜や本という紙面越しに思い描くだけであった作曲家の、生家というリアルへと初めて足を踏み入れた瞬間であった。
だからだろうか。
その後、何人もの偉人たちの「ハウス」を訪れてきたが、このベートーヴェンハウスの ――特に彼が生まれたとされる屋根裏部屋を目にした時の―― 雷に打たれたような一瞬の衝撃、それほどの強い印象を残す場所には未だ出会えてはいない。
彼の音楽は「これ」なのかもしれない。
自分の中でなにかを掴めたような、そんな感覚をこの場所は私にもたらしてくれた。
ベートーヴェンハウスには、聴覚を失った彼の「耳」を体験できる一角がある。
当時の彼が聞いたとされる、自身作曲の初演音声を、イヤホンを通して追体験できるのだ。
聞こえてきた、音にもならぬ「音」
耳を塞がれているようにくぐもり、不快で、ほとんど「音楽」を知覚することもできない。
私の心はしばらく沈み、中々浮上させることができなかった。
音のない世界で音楽を描き、そうして完成させた自身の楽曲を聞くこともできない。
作曲家にとって、それはどれほどの悲しみだったのだろう。
その苦しみにもがき、遂には打ちひしがれ、彼は一度死の淵へと立つ。
しかし、彼は生きた。
生きて、音楽を生み続けることを決意した。
その精神の不屈さは 生命力は どこから湧き出でるのか。
その時書かれた『ハイリゲンシュタットの遺書』には、死へと対峙する彼の葛藤と共に、力強い咆哮のような言葉たちが連なっている。
たびたびこんな目に遭ったために私はほとんどまったく希望を喪った。
みずから自分の生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。――私を引き留めたものはただ「芸術」である。
自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。
『ハイリゲンシュタットの遺書』より
(全文は青空文庫にてご覧になれます→遺書全文)
『 ハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)』とは、ドイツ語で『 聖なる街 』を意味する。
ベートーヴェンが不安定な精神状態の中で、静養のためにこの地を選び、
再び生きる決意を抱くに至ったことは全くの偶然でありながらも、まるでその名に導かれたかのような、どこか不思議な縁を感じずにはいられない。
ベートーヴェンの曲には、生命のエネルギーが込められている。
それが私の中で、人が誕生した瞬間に発せられる「産声」と重なる。
彼の曲と向き合う度、いつも頭に思い浮かべるのは、
彼が生まれた場所とされる小さな一部屋。
ベートーヴェン自身がこの世で最初にあげた産声を、私は幾度も想像する。
上原ありす (Alice Uehara)
最新の記事 (全て見る)
- ストライキとあなたの命日 - 2023-03-26
- ケルンにて散文、いくつか - 2023-03-01
- 沈考の思い出 ー ウクライナとロシアのアンサンブル - 2022-03-03
- 道示す星 – ヴォルフガング・ベッチャー氏への弔辞 - 2021-03-02
- 路の灯 【G. モロー】 - 2021-02-05
Völlig komponiertes Themenmaterial, danke für die selektive Information. Arabel Dur Barbe
Ich lese Ihren Artikel mit Interesse, danke. Nady Ker Crin